まうまう。 まうまう。


 「あーやれやれ。全く、厭な結果に終わっちまったな」
 これだから宗教が絡む事件は好きになれない。にしても、ゴウトを連れて来なかったのは正解だったな。奴さんの鼻がひん曲がるところだった。
 ダービーハットを手に取り、頭髪を風に揺らめかせながら新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、吐き出した後彼は頭を振りながら呟いた。
 自らもまた深く呼吸を繰り返し、肺の中の空気を入れ替えながら頷く。
 「・・・・彼らは、どんな裁きを受けることになるのでしょう、」
 揃って自分たちが出てきた家の方角へ目を向け、ぽつりと呟く。
 そんな自分を彼はちらと横目で眺め、さぁねぇ、と答えた。
 「先ずは未成年略取に殺人は確実だろう」
 「怪しげな儀礼の道具にされていたと、・・・・警察の側から連絡は行くのでしょうか」
 只でさえ娘を亡くしているのに、其の遺体がそのような形で利用されようとしていたと知らされるのは、あの老婦人には耐え難い行為なのではないか。
 そう案じた自分を彼は静かに見詰めた。
 「それこそ連中次第といったところだが。・・・・まァ心配しなさんな。確かに風間のおっさんは多少迂闊に口を滑らせがちだが、悪い奴じゃない。何とかするだろうよ」
 「では、こちらからはどのように説明なさるおつもりです、」
 そう尋ねると、彼はううんと唸った後まぁ何とかするさと困ったような顔で微笑した。
 こんな時、自らの経験の無さが歯痒い。誰よりも守りたいと密かに思っている相手に一番面倒な役回りを押し付けてしまっている。
 情けなさに深い溜息が漏れた。
 一方の彼はそんな自分の考えなどお見通しなのだろう、苦笑を更に深くして自分の頭を学帽越しに撫ぜて慰めた。
 そうこうしている内に先程駆け込んだ駐在所から連絡が行ったのか、風間刑事が部下を大勢引き連れてやってくるのが見えた。また始まるんだろうなぁと思いながら眺めていると案の定、彼と目を合わせた途端風間刑事は吼えてくれた。
 「また貴様か、鳴海っ。今度は何仕出かしやがったんだ、正直に言え、」
 「うわぁ相変わらずひどい言われ様。別段何もしちゃいないよ。っていうかさぁ、通報の義務を遂行した善良なる市民に対して、何だってそう責め立てるのかねェ」
 「誰が善良だ、寝言は寝てから言いやがれ、」
 一方は肩を怒らしながら吼え、もう一方は肩を竦めてのらりくらりと躱す。そんな何時もと変わらない彼らの様子に風間刑事の部下たちもすっかり慣れているらしく、仲裁するでもなくわらわらと件の施設のある家へと入って行ってしまった。其の間中彼と喧嘩腰に話を続けていた風間刑事は、其処で漸く部下に置いてけぼりを喰らった事に気付いたのか。
 「何時か絶対貴様をお縄につけてやるからな、覚えてろよ鳴海っ、」
 そう言い捨て、慌てて部下の後を追った。
 「つったってなぁ。覚えてるわけないじゃん、俺そんなに暇じゃないしー」
 風間刑事の後姿が消える頃合を見計らって彼はそう嘯いた。
 可哀相に。
 思わず風間刑事に対し幾度目かの同情の念が湧き起こる。
 はっきり言って役者が違う。恐らく両者の関係がずっとこのままなのであろうことは、青二才である自分の目から見ても予想に難くなかった。



 豆腐屋のラッパの音が遠くに響く中、無言で連れ立って歩を進める。
 現場検証の途中で戻って来た風間刑事に何やかやと怒鳴られながら、今日の所は戻っていいと許可をもらい、やっとのことで異臭漂うあの界隈から抜け出せたのは数十分ほど前だ。もっと早く開放してくれよなぁとぼやく彼に、表では宥めつつあんたが変に絡むからだろうがと内心突っ込みを入れながら早々に現場を後にした。
 人気の途切れたあたりに差し掛かったとき、突然ぐいと頭を引き寄せられた。
 こんなところで何を、と口走りかけた自分を他所に彼は更に顔を近付け、米神や首の辺りのにおいを嗅ぎ始める。
 「ん〜・・・・やっぱり多少におうな」
 香も焚かれてたみたいだし、空気も濁っていたからなぁ。
 拍子抜けしている自分の頭に回していた腕を外し、今度は自らの腕のにおいを嗅ぎ始めた。
 そんな彼にさり気無く背中を向け、驚きつつも期待していた自分を自覚し、密かに恥じ入る。
 薄く染まった頬や耳の色も元に戻ろうかという頃合になって、ひとしきり鼻を鳴らし終わった彼は背を向けたままの自分に向かって話しかけた。
 「ちょいと遠回りになるが。・・・・深川の大國湯で一風呂浴びて帰るか」
 土埃もかぶっちまったしなぁ。
 彼の提案に、自分も不快には思ってはいたので異論は無かった。頷いて了承の意を示す。
 再び連れ合って歩みながら、時折ぽつりぽつりと会話を交わす。随分と穏やかな雰囲気の中に在って、しかし自分の胸中にはとある思いが居座り続けていた。
 其れは先程、少女を蘇らせるための祭壇を見つけた時から――否、其の術の存在を僅かばかりといえど彼の知るところであったことを知った時から思っていたことだった。
 そもそも何故もっと早くに其の可能性について思い至らなかったのか。己の間抜けさに、何より知っていたくせに何も要求してこない彼に、半ば八つ当たりじみた感情が次から次へと湧き起こる。
 胸中に溜まったもやもやとした不明瞭な感情が抑えきれなくなり、やがて其の思いに突き動かされるかのように言葉が飛び出した。
 「貴方も、死者を蘇らせることが可能ならそう為さりたいと。・・・・思ってらっしゃるのではないのですか」
 言ってる途中でしまった、と思うがもう遅い。前方を歩いていた彼が驚いた顔で振り向いた。
 「どうしてそんなことを、」
 「・・・・ぁ、」
 咄嗟に巧い言葉が浮かんで来ず、虚しく口が開閉した。
 数度、其れを繰り返し、言うべきか言わざるべきか随分と逡巡したのだが、何より自ら口火を切ってしまっていたことを踏まえ、意を決して彼を見据えた。
 「――あの事件が終わってから、暇を見つけては俺なりに何度も考えてみたんです。・・・・妬まずにはおれない心を押さえ込むのに、随分と難儀しましたが」
 負けん気を押さえ込み、端的に心の内を述べ始める。黙って眺めて来る彼の視線を横顔に感じながら言葉を続けた。
 「貴方にとって、あの人は。――宗像少将という人が、誰より、何より特別な存在であったということは充分承知しております。何しろ、過去と完全に決別なすった筈の今でさえ、貴方の心の内で確固たる居場所を築けている程の人物だ」
 そして、貴方は。あの一件の折、彼の亡骸を前にしてとても、――とても悔いていらっしゃった。
 僅かに顔を顰めた彼の姿が視界に入った。しかし構わず本題に入る。
 「だからこそ、俺は疑問に思うのです。呪いの類をご存知でなかった以前ならば止むを得ぬことでしょう。しかしヤタガラスや葛葉とこうして係わり合いになられた今なら、・・・・既にご存知の筈」
 蘇らせること。其れ自体は禁忌とはいえ、死者と、問答を交わすこと。其の《方法》は、無い訳ではないのです――。
 自然俯いてしまっていた己が顔を上げ、再び真正面から彼を見据えた。
 「《スクナヒコナ》に乗っ取られる以前の、宗像少将その人が。一体何を思い、何を感じていたのか。――どうして、悪魔などに支配されるようになってしまったのか。・・・・知りたいと、お思いになられないのですか、」
 「思うよ」
 やっとのことで其の問いを吐き出した自分を見詰めたまま、彼は即答した。
 「だけど、そんなことは不可能だ」
 しかし即座に断言した。
 場に沈黙が横たわる。
 暫くの間互いに見詰め合っていたが、やがて彼は、表情に乏しいと称されがちな自分の、しかし知る者だけが見分けることの出来る分かり辛い表情を正確に読み取ったようだった。
 引き締めていた表情を和らげ、その理由を口にする。
 「・・・・たとえお前さんに其れを頼んだら叶うのだとしても。俺は、其の望みを叶えようとは思わない」
 「・・・・どうして、」
 今度ははっきりと眉宇を寄せ、問いかけた。堪えきれない何かが、自分の科白に途方に暮れたような響きをもたらしていた。
 「貴方だけじゃない。誰もが其れを望み、また叶える手段があるならば、何としてでも其れを手にしようとするのは何ら珍しいことではないし、ごく当然の願いなんです」
 自分でも聞いていて腹立たしく思う程の、聞き分けの無い子供のような声。そんな情け無い自分の様子を見て、彼は微笑を苦笑に変えた。