くれぐれも宜しく、と何度も頭を下げて立ち去った彼女の気配が絶えてから、少年はこちらへ近付き、初めて其の口を開いた。
「日記には、何と書かれていたのです、」
ずっと書棚の上に身を潜ませていた黒猫もひらりとデスクの上に降り立ち、無言で自分を見上げてきた。
傍近くまで寄ってきた両者へ向けて手にした日記帳を開き、該当箇所を指し示す。
「・・・・此処だ。『妙な手紙が来た。何だか気味が悪い。』次いで三日後、『帰り道に不審な人影を時折見かける。あれは誰だろう。春先だからおかしな人が居るのかもしれない。気をつけなくては。』」
ぱらぱらと捲りながら、日々の出来事の合間にある記述を読み上げていく。
手紙が増えてきたこと。其れらが直接自分の部屋の窓辺に届けられるようになったこと。彼らの衣装が全て白で統一されていることに気付いたこと。
そうしてそんな日々に不安と恐怖を抱き続けて二ヵ月後、とうとう帰宅時に呼び止められたこと。
「・・・・『私のことを全て知っているという人に出会った。怖くて逃げてしまったけれど、・・・・あの人どうして私の痣のことを。』」
「・・・・ふむ」
「でもって、後はまぁお決まりだな。家族以外は誰も知らない筈の自分の身体にある痣のことを知っている相手が気になり、話を聞こうとした。カフェーやパーラーでは学友の目があるってンで、其れなりに人気の絶えない神社を選んだ」
「・・・・段々文章が危うげになってきていますね」
ぺらりぺらりと捲りながらそう呟く少年に其の通り、と頷く。
「話をする内に洗脳されたんだろうな。多少なりとも心得があれば、夢見がちな、此のくらいの年の子相手ならお手の物さ」
「でしょうね。・・・・そして最終頁、『私がそんな存在だったなんて・・・・嗚呼なんてこと。お父様とお母様に何と申し上げればいいのか。でも私にしかできないというのであれば、私は逃げるわけにはいかない。』この記述を最後に消息を絶った、と」
デスクに両肘を突き、手の上に顎を乗せたまま極めつけの記述を読み上げた少年を見上げて問いかける。
「――どう思うよ」
「さて。・・・・恐らく貴方と同じ気配を察しているつもりですが」
不快気な雰囲気を僅かに身に纏わせ、日記帳を閉じながら溜息混じりに少年は呟いた。
「・・・・どこぞの新興宗教に目をつけられた可能性が高いと思います」
「だろうな。俺もそう思うよ。けどまぁ・・・・放ってもおけねェし、頼むよライドウ。俺も今回は出張れそうだし」
サマナーの関わるべき仕事ではないと判断を下しておきながら、既に承諾の返事を出してしまった。本来の役目とは無関係に走り回らなければならなくなる少年に済まなそうに頼めば、僅かに表情を和らげ頷かれる。
「無論です。この少女も、あの老婦人も帝都の一部ですから。俺の守るべきもののひとつであることに変わりありません。どうかお気になさらず」
そうだろう、ゴウト。
少年が同意を求めるように己が目付けにそう話しかければ、彼は肯定の意味合いを帯びた声でにゃあと鳴いた。
済まないな、頼むよと笑いかけながら両者の頭を交互に撫でれば、少年からははにかまれ、黒猫には不機嫌そうに避けられた。
「ははは」
「しかし無理は為さらぬよう。・・・・近頃、手段を選ばない輩も増えたと聞き及んでおります」
愉快そうに笑いながら嫌がる黒猫を抱く自分に向けて、心配そうな眼差しと共に注意を促し。しかし捜査への参加を阻まない少年の顔をぴたぴたと軽く叩いた。
「なぁに、若しそうなったらこっちも手加減してやる義理なんざねェし。大丈夫だって」
無理なようならすっ飛んで逃げるさ。元々、俺はそっちの方が得意なんだぜ。
おどけながらそう言うと、少年はやっとおかしそうに声を立てて笑った。